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私のホームページ 『阿部りつ子の女川町(おながわ)便り』

今も心が震える大震災から半年
【あの日のままの役場と生涯教育センターと周囲の雑草】
x-7manth (3)
 9月13日になり、あの忌まわしい東日本大震災(巨大津波襲来)から、早いもので半年になりました。
改めて、犠牲になられた多くの方々のご冥福をお祈り致し、被災された皆さまにお見舞い申し上げます。

  私たちの生活は、3月11日以降激変しました。
信じ難い巨大津波に何もかも破壊され、被災された多くの方々は、当初は生きる事に精一杯でした。
 そして、半年を過ぎた今もなお避難所に居られる方、避難所から仮設住宅に移られた方、町外の住居に移られた方、そして女川町から転出した方など、被災された皆さまそれぞれが、大変なご苦労と決断を迫られた半年でした。
 また、住居は残ったものの、家屋の一部損壊や敷地の破壊により、多額の修理費にご苦労なさっている方の声も、数多く聞いています。

 それでも私たちは生きていかなければなりません。
巨大津波に巻き込まれ、突然命を奪われた多くの人々の無念を思うとき、一生懸命生きなければ申し訳ない気がします。
【仮説のプレハブですが、復興の司令塔になる役場庁舎が完成】
x-yakuba chohsha=kasetsu
 8月に、「女川町復興計画策定委員会」から、『女川町復興計画(案)』が町に提出されました。
一日も早く、より良い町にする為、私たち議会は全力を尽くして審議します。

 被災された多くの町民は、何より町の将来のビジョンを求めています。
元の場所に住めるのか。
高台に移るとしたら、元の土地の価値はどうなるのか・・・・・
期待よりも不安の方がはるかに大きいのです。

 また、どの地域を回っても、「私たちは町から見捨てられた」との、とても悲しい言葉を聞きます。
答えは簡単なのです。
首長が被災地域を回り、一人ひとりに声をかければ大分違うはずなのに、それさえしてくれません。
多くのひとが困難な時にあるときにこそ、首長の出番なのに・・・
と思うのは、私だけではないと思っています。

 でも、私たち議員が弱音を吐くわけにいきません。
不安を抱える町民の方々に、希望をもってもらうのも仕事なのです。
言葉のように簡単には行きませんが。
でも、こんな時だからこそ・・・こんな時こそ、被災者に寄り添わなければ、との思いで町を歩いています。

 今はっきり言えるのは、工程表の入った将来図を早く町民の方々に提示しなければ、町を出て行く人が多く出ることが確実だという事です。
私は、強い懸念を抱いています。
ですから町民皆さまのご意見を伺い参考にして、それらを反映させるよう努める強い気持ちでいます。
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