上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私のホームページ 『阿部りつ子の女川町(おながわ)便り』

4月11日(月)震災1ヶ月、町議4名他多くの犠牲者を悼む
【巨大津波に破壊された、1ヶ月後の議場のある町役場庁舎】
x-40nichi-go-no-machi (22)
 3月11日午後、私たち町議会議員は任期最後の議会に臨んでいました。
この議会が終われば、4月に予定されていた『町議選』になる予定でした。

 午後2時46分、運命の時が来ました。
かつて経験した事のない長い時間と大きな揺れの地震が発生しました。
議場にいた私たち町議や町執行部の全員が、机の下にもぐりこみ安全を確保しました。
そして『大津波警報』発令を知ったのです。

 ほぼ全員が、大きな災害を覚悟しましたが、これほどまでとは想いませんでした。
議長は「15日まで、会議を延長する]と言って散会となり、全員避難を始めました。
 私は地震で倒壊した我が家と夫を想像し案じて、直ちに家に向かいましたから、他の方々がどうされたかは、後日知る事になりました。
【巨大津波に、まるでおもちゃのように翻弄され流される自動車。既に民家の屋根を超えています】
x-3.11 kurum-mo-omocha


 今回の大震災で、阿部和男議員、菊池孝四議員、鈴木隆子議員、本郷隆議員の4名が犠牲になりました。
証言によれば、ある長老議員は、同僚議員や役場職員の制止を振り切り、自宅のある浜の方に向かったと言います。
他の3名の議員も、自宅の戻ったと推測されています。
いずれにしても、誰一人これほどの巨大津波の襲来を予想できませんでした。

 従って、私の同僚議員たちも、さぞや無念だったろうと想います。
一人は、避難所のビルで犠牲になったと想われているからです。
もう一人は、自宅が商業ビル3階の自室に逃げたと言われています。

 町にとって、多くの貴重な人材が失われました。
残された私たちは、犠牲になられた4名の町議や、多くの犠牲者のために災害に強い町を作らなければ、と思いを新たにしています。
                           合掌
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://rikkotan.blog14.fc2.com/tb.php/52-f40cdd52
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。