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私のホームページ 『阿部りつ子の女川町(おながわ)便り』

3月21日、巨大津波で奪われた命の悲しみ
【巨大津波に破壊される前の穏やかな漁港の女川町が愛おしい】
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 大震災以前の女川町の大きな水産会社で元気に働いていた夫の従姉弟(いとこ)。
まさか、と思いましたが、行方不明と知ったのは巨大津波翌日の3月12日。
 それから、夫と二人で同じ会社で働いていた人たちに、従姉弟の足取りを訊ねて歩きました。
しかし、会って聞く人によって証言は全く違ったものでした。
そして1週間後の17日に、本当らしい真実味のある話しを聞く事ができました。

 会社の同僚の車で近くの高台に逃げたが、他の同乗者は無事だったのに、従姉弟だけが津浪に足を取られ、みんなの見ている前で濁流に・・・・・と言うものでした。

 あぁ、何ということだろう、と、夫と二人で嘆息しました。

 3月21日、従姉弟の遺体が職場からほど遠くない場所で発見されました。
女川町での犠牲者発見の、216人目でした。
翌日、遺体と対面しましたが、生前の面影そのままで、余計悔しくて涙があふれました。
夫は特にそうだったようで、「おれに辛口な事を言う人がいなくなってしまった」と嘆いていました。

 娘に先立たれた夫の叔母は、小さく背を丸めて悲しみをこらえていました。
私はもちろん、夫もかける言葉が見つからず、ただ叔母の肩や背をなでるだけでした。
長生きは喜びであるはずなのに・・・・・夫はぼそっとつぶやいていました。

 もう一人、私たちに良くしてくれた親戚のおじさんが行方不明です。
理容店に長男に送ってもらい、間をおかずの震災と「大津波警報」でした。
長男は理容店に戻りかけましたが、異変に気付き引き返して難を逃れました。

 義理の親戚や友人や知人の身内の方々の不幸を数えたらきりがありません。
それほど凄まじい津波だったのです。

 犠牲になられた方々のためにも、2度とこの大惨事を繰り返してはなりません。
私たちは、辛く苦しくとも後世にこの大惨事を残さなければなりません。
発達した現代科学にあっても、人類は自然の力に抗しきれない事も含めて。
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