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私のホームページ 『阿部りつ子の女川町(おながわ)便り』

生死の境目は、人智の及ばない何だったのでしょうか?
【奇蹟の生還=沖に流される沈みかけた家の屋根から別の家の屋根に移る瞬間】
x-abe-masanori-kiseki-no-seikan.jpg
 3月24日に夫の親友のTさんが、甥のM君を連れて我が家に何度目かの入浴に来ました。
Tさんの家は海岸から1㎞程離れた10mほどの高台にあったのですが、それでもTさんの家のある一角にも津波が襲来し、二階建ての家の一階部分が見る影もなかったのです。
まさか、海から離れた高台まで呑み込むとは、信じられない光景でした。
 ですから、夫がTさん達の役に立ちたいと思ったのは当然です。
中学生の頃からの付き合いのある、親友だからそれ位は当然の事でした。

 Tさんのご近所さんだった私の元・同僚は、話では多くの人の目の前で濁流に・・・・・
涙なしには聞けませんでした。

 お風呂から上がったM君と話しをしている内に、彼が大変な経験をして生還した事を知ったのです。
3月11日のあの日、彼は所要で自宅にいたそうです。
運命の2時26分が過ぎ、「大津波警報」が出たのは知っていたそうですが、経験のない彼はおっとり構えていたそうです。
 
 彼の家は、海岸から100m位の所にありますが、外洋に面した女川湾の正面から左にそれた位置にありました。
20分位してから、彼は家の一階の窓に海水が迫ったのを察知して、二階に上がったといいます。
しかし、水位は静かに確実に上がり続け、二階の窓に迫り今度はベランダから屋根に上がったそうです。
【強烈な津浪の破壊力は家々を破壊し押しつぶし、海へ向かったがその上に彼はいた】
tsunami-ageshio.jpg

 そして、彼の家の隣にある水産加工場が彼の家にぶつかり漂流し始めたそうですが、その時点でもM君は深刻に考えていなかったと言うから驚きです。

 しかし、事態は深刻度を増し、さすがにM君も「これは大変な事になった」と思ったのは、町の観光施設「マリンパル女川」前まで流され、それから強い引き波で家がどんどん沖に流され始めた時だそうです。
そして、乗っていた家が沈み始めた時に偶然にも、もっと大きい家が近づいて来たそうですが、距離は5m位あったそうでした。。
折しも雪が降って来て、寒くてたまらなかったそうです。
【この写真の200mくらい沖で彼は沈みそうな家の屋根の上で、より沖に流されていました】
x-tsunami-sageshio.jpg

 それでも沈み行く家の屋根に乗っていては危ないと思い、思い切って泳いで大きな家の屋根に移ったそうです。
その時、ズボンなど下半身に身に着けていた物が脱げてしまい、寒さが一段と増し死の覚悟もしたそうです。

 神はいるのでしょうか?
雪の降る中、夕暮れが迫った頃、沖合い数百m以上流された時に、沖合いに避難していた漁船が見え、必死に助けを乞うたそうです。

 一人で船を操船していた船長が気付き、奇蹟的な邂逅でM君は救助され命を取りとめたそうです。
一晩船中で過ごし、牡鹿半島の漁村に翌朝上陸させてもらったそうですが、命の恩人である船長の名や船名も覚えていなく、上陸した漁村名も覚えていないといいます。
それだけ、想像を絶する体験をしたという事でしょうね。
上陸してから、徒歩で女川町を目指し、叔父のTさんの家に行ったそうですが、そこで母親と再会したそうです。

 ところが、彼の母親もTさんの家で被災し濁流に飲まれたそうですが、近くの民家の植木に偶然つかまる事ができ、近所の人の手で助けあげられたそうです。
親子で奇蹟の生還を果たした格好ですが、生存者の多くがそんな生死の境を経験したのです。
改めて、巨大津波の怖さを実感しました。

現在M君は、夫の紹介した電気設備の仕事をしていて、復興のために汗を流しています。

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