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私のホームページ 『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』

楽しみな『獅子振り』が風前の灯火のようで悲しむ夫
私の頭を”がぶり”と、厄を払う獅子。昔は幼な子が泣いたものですが・・・
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 とっても穏やかな一日になった正月2日。
私の集落のお正月の伝統行事『獅子振り』の日です。
夫は大の『獅子振り好き』で、健常者の頃は『獅子振り』のある2日には、誰より早い早朝に起きて、出かけてい行ったものでした。

 しかし身障者となった今、『獅子振り』が我が家に来るのを首を長くして待っていますが、私からみると随分哀しそうに見えます。
 夫は集落一の笛吹きで、現在『獅子振り』で吹かれている笛の音は、夫のオリジナルが随所に込められているものです。
そんな夫ですが我が家には笛がありますが、もう夫は手に取る事はありません。
私が思うに、笛を吹けば余計哀しくなるからではないでしょうか。
仏壇に丁寧に慎重に近寄る『獅子』
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 『獅子』は、家の中座敷の縁側から入ります。
真っ直ぐ進み、一番最初に仏壇に向かいます。
ご先祖に、ねんごろな挨拶をするのです。
そして家の隅々を舐めまわして、悪魔を探すのです。

 それから、その家の主人に近寄りぱっと離れてから再び慎重に近寄り、主人の左腕から左肩、頭、右肩、右腕と数度口を開けて舐めまわすようにしてから、主人の頭にかぶりつき、次の瞬間、口をパカと大きな音を立てて閉じながら、後ろに飛び下がるのです。
大きく口を開けて、夫に忍び寄る『獅子』です
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 その後は、私(夫人)から子どもたち、そしてお客さんで来ている親戚の順に、主人よりかなり簡略して、”ガブリ”と続けます。

 一通り、それが終わると、最大の見せ場が来るのですが、8年位前からそれは省かれました。
それはそれは迫力があり、美しいものでした。
 特に夜になると、神棚のロウソクの灯に『獅子頭(ししがしら)』が照り輝き妖しい雰囲気を醸し出し、哀愁を帯びながらも、だんだん早くなって煽りたてる笛の音と、ずんずん力強くなっていく太鼓の音と見事に調和して、一度観た集落外に人々に強烈な印象を残したものでした。

 それは『獅子』に入っている二人が肩車を組み、天井近くになった『獅子頭』で座敷中を舞い踊るのです。
そして、3度ほど、上になった『獅子頭(ししがしら)』が、仰向けに倒れて座敷中を這いまわり、くるくる廻りながら起き上がる時には、笛も太鼓も最高潮に達するのです。
拙い文章で巧く表現できないのが、悔しいくらいです。

 しかし、それは同時に大変な力技であり、現在では出来る人はいません。
と言っても、一回くらいならできるでしょうが。
何しろ、40軒もの家々を、16時間くらいかけて演るのですから、高齢化の波が押し寄せている集落では、無理なのです。
それでも、往時を偲ばせる風情のある『獅子振り』で、近在でも有名な『獅子振り』でした
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 夫は言います。
「今だったら、まだ外部の心ある人達に伝承できるが、4・5年の内に廃れてしまうだろう。俺の生きている内は残して置きたいが、この体では説得力がないのが悔しい」と。

 そうなのです。
女の私が観ても、素晴らしい郷土芸能だと、いや、郷土文化財だと思うのです。
嫁いで来て初めて観た時には、本当に驚いたものです。
 何せ、男衆は一軒一軒で出されたお酒を飲み、夜になると泥酔状態に見える人でも、一旦『獅子』に入ると別人のように、舞い踊るのですから驚かずにはいられませんでした。
翌日に、男衆は「契約講」があり、その時には全員闘い傷ついた戦士みたいになったそうです。

 全国的に広がっている「少子高齢化」の波が、ひたひたと女川町に忍び寄って来ています。
私の住む集落も、10年もすれば「限界集落」と呼ばれるかも知れません。
いや、そうなるでしょう。
 だからこそ何としても、若者が定住できる町にしたいものです。
数100年間に渡り、連綿として続いてきた『獅子振り』です。
消えるのは、寂しいを通り越して悲しいのですが、宿命として受け入れなければならないのでしょうか。
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