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 今年の『宮城県母親大会』は、50回目の節目の大会で1524人の方が参加して、仙台市青葉区で開かれ、私は今年も例年通り参加しました。
とても有意義で、元気の出る大会でした。

 ところで皆さんは、『母親大会』をご存知でしょうか。
そこで、知っている方には失礼ですが、その発祥をさらりと書いてみます。

 【私の産まれる2年前の1954年3月1日、木造の遠洋マグロ漁船、第五福龍丸(だいごふくりゅうまる)は、アメリカの無慈悲な水爆実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びたのです。
 死の灰を浴びた無線長の久保山愛吉さんは、この半年後の9月23日に血清肝炎で死亡し、国際世論を大きく揺るがした大事件となったのです。
 太平洋戦争末期の1945年8月6日の広島市、8月9日の長崎市につづく、日本人の3回目の被爆でした。
世界中の人種の中で、日本人がまたも被爆したのです。
【現在は東京都立第五福竜丸展示館(リンク)で、静かに原爆(水爆)を告発しています】
dai5-fukuryuu-maru.jpg

 このアメリカの蛮行に、日本全国の母親たちは激しい怒りに燃え、平塚らいてう(リンク)ら5人は連名で、全世界に向け「水爆禁止のための訴え」を送り、1955年、スイスのローザンヌで『世界母親大会』の開催が決まりました。
 それに先立ち同年6月、『第1回日本母親大会』が東京で開かれ、全国各地から1円募金などで送りだされた2000人の母親が集まりました。
世界大会に河崎なつ(リンク)を団長にあらゆる分野から代表を選び、14人が参加したのです。
今に続く、幅広い母親運動の出発点です。】


 充実した気持ちで『宮城県母親大会』(詳しくは私の『主な活動』(リンク)に書いています。)の会場から出た私が、帰りのバスに乗り込もうとした時です。  
【有意義な大会も終わりを告げ、来年は白石市に集まりましょう】
x-hahaoyataikai-50th-101024.jpg

 「りっちゃ~~ん」と、私を呼ぶ声が聞こえたのです。
知っている人とはみんな挨拶は終わったはずなのに、と思いながら振り返って見たのですが、私を呼んだ人の顔が直ぐには判りませんでした。
 ですが、よくよく見ると・・・・・短大時代のドラちゃん(愛称)ではありませんか。
思わず大きな声で「ドラ~~~」と叫んで、走って彼女のところに行ったのです。
何と懐かしいこと・・・・・
 訊けば、今は宮城県の教職員組合の専従だとか。
昔より(30ん年前)痩せたので、初めは判らなかったのも無理はありません。
話しをしている内に、ドラちゃんは私の参加した12分科会で一緒になった、石巻市のZさんとOさんの2人と知り合いだとかで、世の中せま~い、し、2重の喜びになりました。

 時間がなかったのであまり話せませんでしたが、旧友復活のドラちゃんとZさん・Oさん、メールお待ちしてま~す。
ただでさえ有意義だった今年の『母親大会』は、私の生涯の宝物になった大会でした。 


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