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 一関の実家に着いたのは午後6時半。
8時過ぎに私の携帯がなりました。
夫からでした。
「もしもし」とも言わないで夫は「今何時だ?何時に着いたんだ。」
「6時半ころよ」
「何故着いたらすぐ連絡を寄こさないんだ」
声は静かでしたが、明らかに夫は怒っていました。
心配性なのでしょうか?子供たちにも同じなのです。
夫のそんな性格や習慣を知っているだけに、私は謝るしかありませんでした。


 翌日(15日)は、朝から忙しい日になりました。
一関の実家がある地区は、昔ながらの習慣が色濃く残っていて、この1年の間に逝った人の家には三々五々、親戚や縁のあった人たちが焼香に来るのです。
そしてお手製の料理やお酒で、そのお接待をしなければならないのです。
その準備を、朝早くから家族の女たち総出でするのです。
【鈴鉦の音が耳の残る梅花流詠讃歌(御詠歌)を唱う地区の梅花講員(曹洞宗)の女性たち】
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 午前中から集まった人たちが大体揃った午後1時に、父を始め数多のご先祖さまと母が眠る墓参りです。
今年の夏は一関でも例外ではなく、直射日光が眩しく暑い中、墓地に向かいました。
 墓に着くと実家の兄から順に焼香し、全員が終わった頃に御詠歌が始まります。
鈴と鉦の音と、静かで穏やかな梅花講員(曹洞宗)の女性たちが歌う梅花流詠讃歌(御詠歌)を聴いていると、不思議に心が落ち着き、在りし日の母の顔が瞼に甦ってきました。
 驚いた事に、御詠歌を歌ってくれた梅花講員女性たちの中に、私の同級生がいたのです。
他の人たちがいるのも忘れて話しが弾み、「あぁここで生まれ育ったんだなぁ」と、改めて感慨が湧いて来たのです。
【勢揃いしたきょうだい。父母を見送った私たちはいつまでも仲良く生きよう、とお互いの健康を気遣う】
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 それにしても、母が逝ったお正月が、つい昨日の事のように思えるのです。
厳しい寒さの中での、通夜や葬儀が目に浮かびます。
 私も、『光陰矢のごとし』の意味が、ようやく解かりかけた年齢になったのだと、つくづく思います。
でも、優しかった母は、晩年こそ口数が少なかったけれど、そして多少痴呆が始まっていて、自分の息子の名前さえ言えなかったのに、私の夫の名前だけはきちんと笑顔で言えた母。

そんな母が、限りなく愛おしいのです。
帰って来る事は無いと解かっているのに・・・・・




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