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  私の家の墓には、夫の父母と姉夫妻が眠っています。
私にとっては義父母であり、義姉夫妻です。
 世間的な常識からみれば、義姉は他家に嫁いだのであり苗字も当然違いますから、我が家の墓で義姉夫妻が眠るのは余り例の無い事だと聞いています。
菩提寺の先代住職さまも、その他言できないような事情を知り、夫の決断の後ろ盾になってくれました。
 ですから色々な事情を乗り越えた夫の決断で、我が家の墓に眠っているのです。
その辺の事情は夫のブログ≪追悼の記【我が同胞は儚き人生を歩んだのか?】≫に多少書いてありますので、参照して頂ければ、と思います。
 【集落を見下ろす高台にある墓地を目指して、山道を登る】 
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 夫は介護2の障害者で車椅子ですから、とても墓地までの山道を登る事は不可能です。
ましてや、か弱い(?)私が背負う事は無理ですし、それはそこそこ屈強な若者になった長男・次男でも無理な事です。
 夫は我が家のみならず、他家のご先祖さまの供養や葬儀などを大変多く世話して来た人なので、人一倍墓参りを重要視する人なのです。

 でもそんな夫ですが、墓参りが出来なくなって、もう10年になります。。
せめてもの想いを遂げたくて、私に墓参の写真を撮るように言いつけるのです。
 夫はその写真を観て、そして自分のこころを慰めているのです。
そんな夫を見るのは、正直切なく哀しい気持ちになるのですが、現実を受け入れるしか無いのです。
【ようやく墓の見える地点に着き安堵する兄弟】      【墓に着き、息を整える息子たち】  
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 「重度の障害者になり子供たちに残す物は何もない」と口癖のように話す夫ですが、どんな宗教観や哲学を持っていても人類共通の一番大切な物、つまり人類の普遍的な父母や同胞を思う心を、しっかり我が子供たち(二男一女)に植え付けている夫・・・それこそが一番の遺産だと私は思っていますし、子供たちも抵抗なくそんな夫の思いを理解しているようです。 
 【墓参を終えてほっと一息、昼食を食べる私たち母子を、夫は愛しむように撮ってくれました】 
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 私は50歳代の半ばになろうとしています。
そしてこの頃ようやく「人生とは何ぞや」を、多少なりとも理解し始めた気がしています。
つまり私が死する時、「あぁ私の生き様も満更ではなかったわ」と思える道をこれからも歩む事が、私の人生なのだと確信を持って思えるのです。
 岩手の山間で生を受け、全く環境の違う三陸の海辺の町の、それこそ目の前が海の家の夫と知り合い結婚して二男一女の母となり育て上げ、今日のように、その子供たちとご先祖さまに感謝の誠を尽くす。
 これこそが人間である限り、一番大事にしなければならない通奏低音なのだと、墓参が出来ない夫から、改めて無言で教えられたと思っているのです。

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