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私のホームページ 『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』


”いのち”を守るのは政治の責任」と、憲法を盾に闘う村長

【深澤晟雄(ふかざわまさお)村長の胸像】(深澤晟雄の会より)
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「 ”いのち”に格差があってはならない!」
私の思いと共鳴する主題の映画『いのちの山河』を、なるべく多くの人に観て欲しくて、私は友人22人の方と観る事になりました。

 私の生まれ故郷岩手県、その山あいの沢内村(現・西和賀町)。
そこが映画の舞台です。

 深澤晟雄(ふかざわまさお)村長は、明治38年12月11日 沢内村太田の自宅で誕生しました。
先の戦前・戦中は、東北帝国大学法文学部を卒業後、上海・台湾・満州で教師や実業家として活躍していました。
 昭和29年に郷里の沢内村に戻り、農業の傍ら英語教師をしていました。
人望厚く 昭和32年5月に村長に当選して、昭和40年1月28日 福島医大付属病院で息をひきとり、現職のまま病気(食道癌)で逝去されました。
時に59歳、国を動かす地方政治を実践した真の政治家の、あまりに早過ぎる死でした。
【深澤村長の亡きがらを、豪雪の中で出迎える多くの村民(映画より)】
いのちの山河 (3)
※深澤晟雄村長就任中の主なことがら(深澤晟雄の会より)
昭和32年10月 農協に村金庫を設置するなど他団体との「一体態勢」をしく  
昭和33年 除雪と土地改良推進のためにブルドーザーを初購入  
昭和33年9月 福祉行政の一環として他町村に先がけて70才以上の老人に対して「養老手当金」を給付する  
昭和34年 和賀川改修、中山街道改修工事に着手  
昭和36年 「生命尊重」の理念から、年齢的に弱い層(満1才以下の乳児と60才以上の老人)に対する国保の10割給付を実施  
昭和36年10月 村営保育所を設置  
昭和37年 新町小と太田小の統合に踏み切る  
  川舟診療所が落成  
  乳児死亡率ゼロを記録し、全国の注目を集める  
昭和38年 盛岡までの定期バスを確保する  
  法施行に先がけて世帯主の7割給付を実施  
昭和38年9月 「総合保健行政」の成果が高く評価されて、『保健文化賞』受章に輝く  
昭和39年11月 自治体では初めてという『岩手日報文化賞』を受賞
昭和40年1月28日 福島医大付属病院で、現職のまま息をひきとる(59歳)
【貧困・多病・豪雪に喘ぐ昭和30年代初頭の村人たち(映画より)】
いのちの山河 (2)

 深澤晟雄村長がいだいていた「生命尊重こそが、政治の基本でなければならない」の信念は、正に憲法25条の精神そのものです。
『貧困・多病・豪雪』を克服するために、全人生をかけたその生き方に、私は深い感銘を受けただけでなく、深澤晟雄村長の無私の愛に想いを致し、我が糧にせねば、と強く思いました。

 貧困のために病院にも行けず、行く時は『死亡診断書』を書いてもらう時だけとは、あまりにむごい現実でした。
どんどん死んでいく乳児、家族に迷惑を掛けたくないと、自死を選ぶ高齢者。
 深澤晟雄村長は『60歳以上の高齢者と乳児の医療費無料化』を決断しますが、大きな障壁になったのは、他でもない国や県の行政でした。
 「現行法に違反する」と言う国や県に対して、深澤晟雄村長は毅然として「憲法25条に勝る法律はない」として敢然と立ち向かい論破します。
緊迫と感動を呼ぶシーンです。
【岩手県厚生部課長に憲法25条を盾に迫る深澤村長(映画より)】
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 結果的に大きく国をも動かす事になったこの制度で、全国で最悪だった”乳児死亡率を、全国初の死亡率ゼロを達成したのです。
その夜、・・・すでに就寝していた村長は、役場から掛ってきた電話でその偉業を知り、翌朝の関係者の喜びようには、私は思わず映画である事を忘れて、拍手をしていました。
 また豪雪との闘いも並大抵の情熱では出来なかったもので、除雪用のブルドーザーの確保も難渋を極めたのです。
しかし周囲の協力も徐々に大きくなり、遂に豪雪期にも県都・盛岡までのバスの運航が可能になったのです。
【赤ちゃんが死なないという当たり前の事が、現実になった村人の喜びは大きかった(映画より)】
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 しかし村長の理念と実践力が、当初から村人全員から支持されていたものではありませんでした。
深夜、自宅の窓ガラスに石を投げ込まれて、割られたりする嫌がらせは幾度もあったのです。
 そんな時も村長は村人たちを信頼し続け、決して信念を曲げる事なく、『貧困・多病・豪雪』の3苦克服に立ち向かったその姿勢は、やがて多くの村人に生きる希望と感動を与えていきました。

『あなたにそんな深澤村長みたいな事ができますか?』
と私に問われたら、答えに窮するのが本当のところですが、でも一言いいたい。
「かつて深澤晟雄という偉大な政治家が東北の小さな村にいたけれど、少なくとも日に一度は彼に想いを致したい」と。
【自分の体の心配よりも”村民のいのち”を優先して、食道癌に倒れた深澤村長(映画より)】
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 東北の小さな一寒村の指導者だった深澤晟雄村長は、59歳という若さで逝ってしまいました。
しかし彼がこの国に残した足跡は、前人未到の偉大で稀有なものでした。

 食道癌に倒れ、福島医大で最後を迎えられた深澤晟雄村長。
その胸中はいかばかりであった事でしょう。
何故かくも偉大な人物を、天は早く召されたのでしょうか?

 深澤晟雄村長の遺体を乗せた車が、自らが豪雪期でも通れるように確保した雪道を進んで来た時、数百人の村民が道の両側で整然と並び出迎えました。
慟哭に満ちた嗚咽が広がり、車にすがり(縋り)つく村人たちの姿に、私は涙が止まりませんでした。

 政治の原点は弱きものの生命・財産を守る事で、”いのちの格差”が絶対あってはならないのです。
ですから、間違っても弱者に確実にシワ寄せの行く、逆進性の高い消費税増税を許してはならないのです。

 もちろん現代の日本において、医者に行けない人を作ってはならないのは当然です。
そして間違っても餓死者を出してはならないし、生活苦による自殺者を出してはならないのです。
 しかし悲惨な実態が、北九州市や秋田県など全国各地で発生し、全国から非難が集中したのは、何も昔の事ではなく、つい先年だったのを、私たちは忘れてはならないと思っています。

 それにしてもこんなに優れた映画が、街中の映画館で上映されず大多数の国民の目に触れないのは、日本国民にとって不幸な事だと言わなければなりません。
また、この映画の上映に真摯に関わった全ての人々に敬意を込めて、「ありがとうございました」と言います。
【”いのちの山河”を観終わって、いろいろな思いを胸に会場を後に・・・~石巻市文化センター~】
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 最後に、深澤晟雄村長が拠り所にした『憲法25条』を書いておきます。
日本国憲法
第三章 国民の権利及び義務
第二五条【生存権、国の社会的使命】
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 

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