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私のホームページ 『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』


”ワッショイ、ワッショイ”~~遠ざかる記憶~~

 今年も5月3日がやって来ました。
私の住む集落には五十鈴(いすず)神社や三国(みくに)神社などがあり、そのお祭り日なのです。

 下の写真は1991年5月3日、19年前の一枚です。
あの顔この顔、子供たちの顔が一人ひとり、私の脳裏に浮かんで来ます。

x-kodomo-mikoshi_0002.jpg

 5月2日、お祭りの前の日は、大人も子供も忙しかった。
私たち若いお母さんたちは明日の料理の仕込みやら、子供たちと子供神輿(みこし)の飾り付けやらで、息つく暇がないくらいだったのです。

 男衆(独身者もいた)は、夕刻になると三々五々集落の海岸に集まり出し、人数が集まった頃合いをみて神社の鳥居に、幟(のぼり)を立てに行くのです。
幟を立てる場所は3ヶ所あって、2本立てるのが2ヶ所ですが1ヶ所は急な斜面で大変危険な場所です。

 幟を立て終わった男衆は夜になると、山の上にある神社に登り、夜籠り(よもごり)と言って、祀ってある神さまの前でお神酒(おみき)で身を清め、お祭りの無事を祈願するのです。
x-kodomo-mikoshi_0003.jpg

 3日の朝早くから、男衆は神社や鳥居を飾る〆縄作りに精を出します。
10時頃になると神主さんがやって来て、一番最初に子供たちや保護者、そして子供神輿のお祓い(おはらい)をします。

 さぁ、子供たちの出番です。
”ワッショイ、ワッショイ”と勇ましい声を張り上げて、集落を回ります。

 集落の各家々では、おじぃさんやおばぁさんが門前で神輿の来るのを待っています。
その手には、子供たちへ贈る大事なお金の入ったご祝儀袋が、しっかり握られているのが常でした。

 子供たちも心得たもので、おじぃさん、おばぁさんの姿を見つけると、”ワッショイ、ワッショイ”の声が一段と高くなります。
もちろん、子供たちにとって決して軽くはない神輿ですが、その歩も早くなるのですから、文字通り現金なものです。
x-kodomo-mikoshi_0001.jpg

 でも、子供神輿と言っても造りは本格的なもので、4本の担ぎ棒を合わせると、小学生だけの20人くらいでは歯が立ちません。
そこで出番なのが、お父さんたちでした。

 お父さんたちが”ワッショイ、ワッショイ”、続けて子供たちが”ワッショイ、ワッショイ”・・・・・
その賑やかな声は、田植えが終わったばかりの田んぼの上を風に乗って、神社にいる神さまに届いたことでしょう。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 あれから19年の歳月が流れました。
年々子供たちの数が減り、いつしかお祭りの子供神輿は出来なくなりました。

 今の時期、田植えが終わったばかりの田んぼが広がっていましたが、今はもう耕作する人もいなくなりました。
子供神輿は神社の鳥居の少し上の土地に作った倉庫で、静かな眠りに就いています。

今、集落の小学生は3人だけになってしまいました。
何とか再生の道を探りたいと、私は思っています。
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