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私のホームページ 『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』

母(祖母)の葬儀に来られなかった娘の悲しみも癒え・・・
 3月27日に母の仏事(100ヶ日法要)が、親戚縁者30数名が集まって営まれました。
娘にとっては祖母になりますが、今回の100ヶ日法要に参列した血の通った孫は娘一人でした。
葬儀の時と、ちょうど真逆になったのです。

 天候も1月10日の葬儀の日のように雪模様で寒さも厳しかったのですが、それは長くは続かず法事が終わる頃にはお陽さまが顔を出しました。
 娘は若さゆえの薄着で、彼女の予想以上の寒さに傍にいる父親(夫)に向かって「寒い寒い」を小声で連発していたようですが、父親(夫)から「ばぁちゃんの為だから少しの間くらい我慢しな」と言われ、素直に従っていたようでした。
その会話を聞いていたら、まるで20数年前の娘がまだ幼かった頃のような雰囲気で、わが家族ながらとても微笑ましく見えたのです。



 【法事が終わった頃に眩い早春の陽射しが、うっすら積もった雪を瞬く間に溶かしました】 
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 供養膳を食べる時も娘は父親(夫)の傍で、父親(夫)の呑んでいるお酒の酌をして会話していたようです。
もっとも娘の話し相手は父親だけですが、仏事に慣れた夫は方丈(和尚)さんとも盛んに話していたのですが、その会話を聞いているのも娘には退屈ではなかったようでした。
それも娘が私の思っている以上に大人になった証しであり、また娘は父親(夫)と話しが合うのです。

 でもそれは私の買いかぶりかも知れず、先に書いたように孫は娘だけの参列で、話し相手になるいとこもきょうだいもいなかったのです。
周囲は歳のいった殿方ばかりなので仕方なかったのかな、と思い法事が終わってから娘に訊いたら、「そんな事ないよ、おとう(父親)の話しが面白かったから」と言うのです。
さすがはわが夫、わが家の菩提寺の方丈(和尚)さんとの会話が活かされたようでした。



 その夜は私達家族3人と埼玉に住む私の姉夫婦が泊まる事になり、賑やかな母の供養晩餐になりました。
100ヶ日の仏事が無事終わったせいか実家の兄は何時になく上機嫌で、普段呑まないビールを呑み、顔を真っ赤に染めながら夫を相手に、途切れる事なく話していました。
 私の姉の旦那さん(義兄)は九州は鹿児島県の生まれで、岩手のズーズー弁はほとんど理解できないので、兄の話し相手は自然に隣県宮城に住む夫になってしまうのです。
 娘はと言えば、父親(夫)の傍から離れる事無く、相変わらず楽しそうに話しを聞いていました。
私は娘の右隣に座ったので、「おんちゃん(兄)、ずんぶん酔ったね」と私に言いながらも顔はニコニコしていたのです。

 夜半までの晩餐は、きょうだい(連れ合いを含め)の絆を一層深めたようで、誰とはなしに「ばぁちゃんのお陰だね」と言い「そうだね」となって、お開きになったのです。
【左=私が生まれた年に建てられた生家をバックに、リラックスした表情の娘】
meg-kyuka-100kaniti-100328.jpg

 翌朝の夫の目覚めは、大分早かったらしい。
夫だけが布団では寝ていないのですから、あまり眠ってはいない表情でした。
夫は躰幹機能障害で常に強い痛みがあり、平坦な布団には仰向けになる事もできず、横向きにもなれない体です。
 車椅子のティルティング(座面の傾斜)とリクライニング(背もたれを倒す)とエレベーテング(脚部を上げる)機能を使って、ほぼ自宅のベッドに寝るような体位でないと眠れないのです。
それでも熟睡出来る事は稀で、滅多にありませんし、その夜もそうだったようです。

 そんな夫はみんながそれぞれ思い思いに起きて居間に行くと、「おはようございます、今日はいい天気ですよ」と言葉をかけていました。
 私はその言葉で外を見ると、なるほど柔らかな陽射しの上天気なのでサッシ戸を開けると、ひんやりした微風が部屋に入って来ました。
思わず私は 「♪はる~は名~のみ~の、かぜ~のさむさや♪」 と口ずさんだのです。
「おぉおぅ、お前どうしたんだ?」との夫の声に、「今朝は気持ちがいいわね」と私。

 全員揃うのに時間がかかり、揃ったところで遅めの朝食になりました。
食べながら埼玉の義兄が「食後、ちょっとその辺を散歩しないか」と提案したのです。
 
 散歩には埼玉の姉夫婦と私と娘の4人で行く事になり、夫は可哀そうですが置き去りです。
でも、それは上の写真を見て頂ければお分かりのように、生家は山の中ですので車椅子では10㌢も進む事は困難なのです。
しかし夫は泰然として娘を呼び、「おとう(父)の目の代わりに、これ持って行って」と言ってデジカメを渡したのです。

 私達4人は着かず離れずゆっくりと歩を進め、家の回りを歩きました。
そして家から少し離れたところで姉が「少し奥に入ってみようか」と言い、裏山に入ったのですが、そんなに奥まで入った訳ではありません。
 そしたら・・・・・
あったのです、小さな祠らしき物が・・・・・
「○○(娘の名前)来て来て!おとう(夫)に見せるから写真撮って!」と、いささか興奮気味に・・・・
「ねぇちゃん(姉)、これ何?」と私。
「解らないわ?」と姉。
【右=生家の裏山の私が全く知らなかった、ご先祖さまが造ったと想われる祠】 
jikka-hokora-100kaniti-100328 (8)

 それは石造りの正面が等しい形で2か所、長方形に削られ(彫られ)ていて、中に厚い木の板に何か書いてあるように見えたのです。
目を近づけてよくよく見ると、かなり薄くなっていたけれど、確かに墨書きで読める文字でした。
【大正十一年九月十五日 ○○○ ○以下、判読不明】・・・
そこが実家の土地である事と苗字が同じであると言う事は、私が聞いた事がないだけで伯父(叔父)さんか、それとも祖父の兄弟に違いないと思って姉に尋ねたけれど、「アイドントノー」でした。
(実家に戻った時に家を継いだ長男の兄に訊いたのですが、はっきり答えてくれませんでした)

 娘は大層興味深げに見ていましたが、私達と一緒に丁寧に掌を合わせていましたが、礼拝が終わると「ふ~っ」と、ため息ともつかぬ息を大きく吐きだしたのです。
私は「どうしたの?」とは、あえて訊きませんでした。
けれど娘のこころの中で、大きな何か変化があったのは間違いないように見えたのです。

 前日の100ヶ日法要で、小さな頃に大変可愛がってくれた祖母に対して、葬儀に来られなかったお詫びを言い、これまでの感謝を言ってお別れを告げ供養した事、そして翌日、不思議な縁(えにし)に導かれるように、私の知らなかったご先祖さま、つまり娘にとってもご先祖さまに邂逅し、合掌して礼を尽くした事が彼女に大きな安らぎと言うのでしょうか、それを与えたのだろうと、私は推測したのです。
 それを証明するかのように、前にも増して娘の顔と所作が、穏やかで柔和になったのです。
夫に話すと、大層興味深げな表情で娘を見ましたが、何か感じる所があるらしく言葉はありませんでした。
夫と娘は、以心伝心なのでしょうか?
私のこころに、ほんの少しのジェラシーが・・・。

埼玉の姉夫婦が10何年ぶり?に女川町のわが家へ
 一関での用事も全て無事終えて、私達と姉夫婦は家路につく事になり、姉夫婦が女川町のわが家へ立ち寄る事になりました。
双方の子どもたちが幼かった頃以来の来訪ですから、私達以上に娘が喜び大歓迎だったのは言うまでもありません。
 私達親同士は一関や仙台市、石巻市などで何度も会っていますが、子どもたちはそんな機会も乏しく、それこそわが家で会うのは10数年ぶりになるのです。
 娘は友人との約束を翌日に延期してもらい、伯母ちゃんたちとの夕食を優先してくれ、そのこころの成長ぶりに、夫は大人になったなと、大満足の様子でした。
そして父親として、1分1秒でも多く娘と一緒にいたい様子が、痛々しいほど伝わって来たのです。
【(左)=観光施設マリンパル女川/(中)=マリンパル女川・おさかな市場/(右)=女川魚市場】
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 わが家へ帰る前に夕食用の魚介類とお土産を買いに、マリンパル女川シーパルⅡのおさかな市場【リンク】に行きました。
新鮮な魚介類の豊富さに、姉夫婦はとっても喜んでくれました。
私達ご一行は寄る店寄る店で歓迎され、夕食用とお土産用を複数のお店から買い求めましたが、おまけも頂き買い物そのものが、埼玉の姉夫婦には新鮮だったようです。

 わが家に帰ってから私はすぐに台所に立ち夕飯の支度に入りましたが、その間は夫と娘が姉夫婦のお相手をしてくれました。 
娘も会話に加わって話しの途切れる事はなかったようで、時折台所まで聞こえてくる明るい話し声に、包丁を握る私の手の動きも自然と軽やかになったのです。 

夕食ができ5人で食卓を囲みましたが食事中も会話が弾み、楽しい一時でした。
そんな中で私と姉が特に嬉しかったのは、娘がすっかり溶け込んで明るかった事でしたが、実はもう一つそれに勝るとも劣らない事があったのです。
 それは義兄と夫がお互いが義兄弟と知ってから30年余の歳月を経て、その男同士の絆が強く深くなったのが、私達の目にもはっきり見えた事でした。


 お別れの時・・・・・

「今度会う時まで、お元気で!」
と互いに言い合う義兄弟。
「何かあったら緊密に連絡を取り合おう」
その光景は私と姉、そして娘の目にしっかり焼きつきました。

 夜の帳(とばり)の中に姉たちの乗った車のテールランプが見えなくなるまで、私達親娘3人は手を振り続けたのです。


 「なぁ○○、今回ばぁちゃんの100ヶ日法要に参列してどうだった?」
との、夫の問いかけに娘は、
「うん、来て良かったよ。こんな気持ちになるんだったら、ばぁちゃんのお葬式に無理して仕事を休んでも来るべきだったと思う」。
 そして娘はこんな風に後を続けた。
「考えてみたら、一関のばぁちゃんが私にとって最後のばぁちゃんだったんだね。女川のわが家のじぃちゃん・ばぁちゃんはとっくに逝ったし、一関のじぃちゃんも逝ってから何年になる? 私にもう、じぃちゃん・ばぁちゃんと呼べる人がいなくなった事が、こんなに切ないとは思わなかったよ」

「そんな風に思うんだったら○○、おとう(父)に早く孫を抱かさしてくれ、頼むよ!親は孫の顔を見て死にたいんだぞ、特に娘が産んだ孫は・・・」
夫の懇願ににべもなく娘は、
「ん~ん、まだわからないよ」
「そんな事言わないでさ、とりあえず仙台まで帰って来て、そしたら俺が三つまで育ててやるからさ・・・」
「それより、おにい(兄)か、◇◇◇(弟)に頼んだら?あっそうだ、◇◇◇の方が絶対早いと思うよ、あいつ意外と女に弱いって言うか、女の人の言う事を聞くタイプだからさ、くっくっく!(^^)! 」
「く~っ!」


≪リリリリリ~ン~~~~~リリリリリ~ン~≫

「もしもし、今着いたよ、本当にありがとう」
「えっ、もう着いたの?早かったですね。今12時半だから6時間で行ったのね、お疲れさまでした」
埼玉に着いた姉からの電話でした。 


  
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