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私のホームページ 『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』

「母ちゃん、早いもんだねぇ、あれからもう一ヵ月も過ぎたんだよ。」
私は毎朝我が家(阿部家)の仏壇に、供養膳を上げ焼香するたび、心の中で一関の母に話しかけている。
「3・7日(仏教でいう死後の忌日で49日まで7日毎に行う追善供養の日)に行けなくてごめんね。こっちで(我が家)供養しているから、解ってくれているよね、母ちゃん」

 実際私は用事に忙殺されていて、毎日慌ただしく過ぎて行き、この頃はゆっくり夫と話す時間も取れないほどなのですから、そんな状況が正しいとは決して思ってはいないのですが、現実が許してくれません。
そんな状況に夫は何も言いませんが、愉快であるはずがありません。
それは母に対する申し訳なさと、相通ずるものがあります。
「49日には夫と二人で、お墓参りに行けるようにするから、怒らないで待っててね」
『~遠ざかる日々と朧(おぼろ)な記憶~』

 私たち夫婦は、仏事の有りようとか意味などを親切に教え解説してくれた菩提寺の先の方丈さん(住職=故人)の、教えが記憶に鮮明に残っているから、割り合い仏事にあっては少々の事では動じないのです。
 また夫も健康でバリバリだった頃(30歳~47歳くらいの間)は、親戚で不幸があると表の仕事、裏の仕事何でもこなせて、実質的に采配を奮ったのは数知れない(数十に及ぶ)ので、葬儀屋さん顔負けの知識があるのですよ。
【我が家の仏壇。右からぶら下がっているものは、夫が長期入院中(足掛け5年)に創った願い事の短冊】
nezumi (4)

  方丈さんの教えの一つ一つが、鮮明に記憶に残っています。
例えば、こんなのがありました。
『亡くなった親は、生前どんな因縁があろうと死後は子供たちに祟る事はあり得ない。生前どんなに悪い事を重ねたと言えども子供たちの安寧を祈らない親はいない』
『亡くなった人は、仏教的に言えば死後49日間家に留まっている。そして49日目の朝に家の天辺から昇華して行くのだから、亡くなった日から49日までの間の、7日毎の忌日の追善供養を疎かにしてはいけない』

ここまで書いてきて、先ほどから来ていた睡魔に、もう勝てなくなりました。
明日になるか、明後日になるか分からないけれど、続きはまたの機会にします。
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