上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私のホームページ 『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』

夫が『さをり織り』に復活しました
【夫が以前織って評判の良かった作品=一番手前の緑色の洋服】 
x-sawori.jpg

 夫が長い眠りから覚めました。
と書くと、まるで熊さんが冬眠から覚めたみたいな表現ですが、そうでは無く、長い闘病をおくったベッドから車椅子に移り、障害者の『自立支援センター』に通えるようになったのです。

 7月2日の深夜、厳密に言えば午前3時頃トイレに起きた夫が、用を足して部屋に戻る途中で転倒してしまい、肝臓が大きく腫れるなど内臓に大きな怪我をして、深いダメージを負ってしまったのです。
 私が病院に行こうと言っても頑として行こうとしない夫は、それからは自宅での時間のかかる長い療養となったのです。
モルヒネを使い痛みをこらえるのに慣れているとはいえ、はたから見ているだけの私は一日でも早い回復を願っていたので、正直つらい日々を送ったのです。

 夫が何故、病院に行かなかったかの理由は単純明快で、たった一人の医師しか信用していないからでした。
その先生は仙台市の病院の整形外科医で、内科は門外漢であるため、夫は病院に行こうとしなかったのです。
 以前、私が東京出張中に、夫が急性腎炎に罹り自分で救急車を呼んで救急病院に行きましたが、ロクな手当も受ける事なく4時間もストレッチャーの上で、悶絶していたのです。
そして4時間後にまた救急車で別の病院に転送された経験があり、それに4年以上の長い入院経験から、医師を見る目が肥えたと言えばいいのでしょうか。
とにかく、簡単には医師を信用しなくなったのです。
【以前、公募展覧会で入賞した夫のタペストリー作品=真冬の森に降り注ぐ星屑たち】
ある展覧会で入賞した夫の作品でタイトルは『真冬の森に降り注ぐ星屑たち』

 7月、8月、9月と酷暑(猛暑)の夏が過ぎた頃、内臓の方は完治したのですが、まだ不幸が待っていたのです。
簡単にはベッドの上で体位を変える事のできない状態が長かったため、臀部に褥瘡(じょくそう=床擦れ)が出来ていたのです。
 車椅子に短時間座っているのも大変な状態でしたので、今度は体位変換をしながらの療養に移ったのです。
10月、11月と、時は容赦もなく流れ、ようやく褥瘡も治りましたが、12月が迫っていました。
 私は心の中で「もう12月にもなるので、今年はこのまま『支援センター・こころ』には行かないんだろうな」と、思っていたのです。

 しかし11月29日の夜、夫は唐突に「12月から、『こころ』に行くぞ。いいだろ?」と言ったのです。
年内は行かないと思っていた私は、来春4月に私の選挙があるので、多分このまま選挙が終わるまで行かないものと、勝手に思い込んでいたので、少々面食らいましたが嬉しくもありました。
 家にばかりいると、どうしても夫は無口になるのです。
あれから2週間経ち休む日もありますが、夫はまぁまぁのペースで通っています。
表情にも、家にいる時よりも遥かに生気が戻りました。

 来春、私の選挙のために否応なく『こころ』を長く休まなければならない夫ですが、12月、1月と、行って欲しいと思っている私です。
しかし体の痛みはいつもある夫なので、それ以外には、どうか夫が怪我や病気などしないように、と願っている私は自己中でしょうか。
 いくら重度の身体障害者になった夫といえども、私のためにパソコンを駆使し選挙事務や私の刊行物の「フレッシュ便」を作ってくれるのは夫だけですから、頼りになるのです。

 今日の、この文の終わりに夫の傑作タペストリーを掲載します。
以前にこのブログに掲載しましたが、夫の思い入れの強い作品です。
タイトルは『希望(平和)』。
hako13b[1]

[了]
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://rikkotan.blog14.fc2.com/tb.php/43-49470d2e
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。